「……離してよ、ゼロス……っ!!」

大学から歩いて十分以上かかる距離まで来ても、ゼロスはリナの腕を掴んだままだった。

「ねぇ、お願いだから、ゼロス……っ」

黙々と歩き続けるゼロスの背に、ついに懇願し始めたリナに、不意にゼロスは歩みを止める。

そして、振り向かずに言った。

「……リナさんは、僕にどこまでも酷くなれるのに、僕の婚約者すら演じてくれないんですか。僕の婚約者として、僕の妻として生きていくことなんて、貴女にとっては何も難しくないはずだ。金銭的にも立場的にも何も問題がない。……でも、それでもリナさんは、僕の婚約者にはなりたくないんですか」

「………ゼロス……」

それは、リナがこれまで接してきた中で、最も彼にとっての怒気が含まれていた。
立ち尽くすリナに、ゼロスは、彼女には聞こえないよう歯軋りをする。

「この三ヶ月、リナさんと過ごして、リナさんも辛かったと思いますが僕もずっと、どうしたら本当に貴女を手に入れられるかを考えていました。でも、貴女はガウリイさんしか見ていない。僕に抱かれながら、ガウリイさんばかり考えて、本当に、彼に抱かれたかったのでしょう。彼にその体を貫かれて、揺さぶられて、愛情たっぷりの優しい口付けをされたかったのでしょう。僕は模倣品であり、紛い物で、偽者だ。ガウリイさんになれるわけがないのに、ガウリイさんのせいで貴女の心の中に空いてしまった大きな穴を、僕の体と言葉で、埋めろと貴女は要求してくる。それがどれだけ酷いか、貴女は知っていた。知っていてなお、僕の婚約者になることを拒めるんですか。僕が何の見返りもなく、貴女の要求に応えていたなんて、そんな甘い見通しを貴女がしていたとは思えない。貴女はこうなることを知っていたのでしょう。是が非でも僕が貴女を手に入れようとすると計算していた。違いますか?」

いくつもの言葉の刃を突きつけられ、リナの顔は蒼白となっていく。
膝を震わせながら、リナは力無く首を横へ振った。

「……ちがう、違うわ。あたし、そんな計算してない。そんな、そこまで……」

ゼロスが振り向く。
顔にはいつもの笑みで。

「違いませんよ。何も違いません。もし計算してなかったとしても、結果的にはそうなんです。結果的には、僕は貴女の思う壷だ。そうして本当に問題なのは、僕がそれで構わないと思ってるってことです。僕はそんな貴女で構わない。果てが無い貴女の非情な性格に付き合えるのは僕だけですよ。これで証明されたじゃないですか。これでやっと、貴女の実験は終わった。貴女は、ガウリイさんの為にガウリイさんをフったんじゃない。ガウリイさんからフられることが怖かっただけでしょう。ガウリイさんの未来がリナさんだけになってしまうのはよくないなんて、そんなの詭弁ですよ。奇麗事です。貴女は本来なら手に入れたいものは迷わず手に入れる人だ。たとえ相手の為であっても手放すほどのお人よしではない。それなのに手放したのは、貴女が本当に傷つく日が来ることを恐れたからだ。ガウリイさんから失望される前に、ガウリイさんから離れたかった。僕を利用してガウリイさんを裏切ったことを後悔しているなんて嘘なんですよ。大嘘もいいところだ。貴女は彼の貴女への愛を試していただけだ。僕と付き合っても僕と寝ても、ガウリイさんの心が貴女から離れないかどうかを試していただけだ。これでやっとわかってよかったじゃないですか」

にこにこと言うゼロスの瞳は笑ってはいなかった。
声もなく涙を流すリナの、心の底の底までを抉り取りながら、ゼロスは、リナの頬に優しく触れる。

「でも僕は、貴女をガウリイさんの元へは帰しませんから。あなたがどれだけガウリイさんを愛していても、僕には関係ない。いえ……そうではなくて、多分、だからこそ釣り合うんですよ。僕のような男には、貴女ぐらいの酷い女でないと、付き合いきれないでしょう?」

そこでやっとゼロスの瞳の光りが柔らかくなった。
リナは服の袖で涙をぬぐい、しばらく考えてから、ゼロスの手を自らの手で握った。

「……そうね。あんたの言うとおり、ね。……あたし、逃げすぎていたんだと思うわ。ガウリイをテストしてたつもり、なかったけど、でももし本当にそうだとしても、ガウリイはあたしを好きなままだった。嫌いになんてなってくれなくて……。あたし、たぶん、知ってたんだわ。知ってたから本当に、酷いの。あんたのマンションの前で待ちながら、あんたに抱かれることを想像しながら、ガウリイはあたしを嫌いにはならないって、知ってたの。……本当に、バカよね。ガウリイじゃなくて、あたしがバカなのよ。バカで馬鹿で、馬鹿だから……もう、逃げるのやめる。あんたのこと好きじゃないけど、嫌いでもないの。だから、あんたと結婚するわ。あたしは……あんたにいくら謝っても足りないことをした。それを後悔してはいないけど、でも……」

そこで言葉を途切らせたリナを、ゼロスは黙って見下ろしていたが、やがて
リナの顎に手を添えて、上向かせる。

「もう、いいんですよ。もう自分を責めなくていいんです。僕は……リナさんの賢いところが好きなわけじゃないんです。いつも強気で勝ち気なのに、本当はこんなに臆病で、傷つきやすくて、間違った方法と結果を選んでしまう。その愚かさとみっともなさが、好きなんですよ。だって……とても、人間らしいでしょう?」

その問いかけに目を見開かせて、ゼロスを見つめ返すリナに、ゼロスは顔を近づけた。

「人間らしくない僕は、人間らしいリナさんと一緒にいたいと思いました。だから、僕は、リナさんを愛しています。今までも、これからもずっと。」

触れるだけの口付けが離れて、リナは口元に手を当てる。
微笑んだ彼の顔を見上げて、呆然としてから、不意に俯いた。

「………あんたって、あたしが思ってたよりずっとロマンチックだったのね。今ね……言いたくないんだけど、すごくドキドキしちゃった。……どうしたらいいの?ねぇあたし、どうしたらいい?」

戸惑いながらリナの手は拳を作り、ぽかぽかとゼロスの胸のあたりを弱く叩いた。
ゼロスは少しだけ目を瞠ってから、リナの肩に腕を回す。

「どうもしなくていいですよ。そうだ、ウエディングドレス見に行きましょうか。リナさんて教会で挙げたい派ですか?それとも神前式がいいですか?」

「……そんなのなんでもいいわよ。あんたが決めて」

リナはまだぽかぽかとゼロスの体を叩いていた。
まったく力は入ってないが。

「じゃあ勝手に決めますね。あとで『なんでこんな豪華にしたのよ!?馬鹿じゃないの!?』って言わないでくださいよ」

にっこりと言う彼は真剣だった。
リナは彼を叩くのをやめて、根負けしたように呟いた。

「……たぶん言うわ。言うから、質素なやつにして。どうせ友達なんか呼ばないし。……ていうか籍だけ入れなさいよ。人前であんたとキスしたくない」

「さり気なくひどいですね。さっきはみんなの前で出来たじゃないですか、キス」

「あんたが勝手にしたんでしょ」

「もしかして怒ってます?」

「……そんなことで怒るくらいなら、あんたと結婚しないわ」

「そうですよね」

見あげれば、彼はとても嬉しそうな顔をしていた。
リナは顔を逸らし、内心で舌打ちをした。

結婚を承諾したばかりなのに、もう離婚してしまいたい気持ちが沸いてくる。

心の底から嬉しそうな彼の笑顔をなるべく見ないようにして、リナは彼に先立って歩き始める。

「……とにかく、もう帰るわ。細かいことはあとでいいじゃない。あんた別に急いでないんでしょ?」

「何をですか?」

「あたしとの結婚よ。婚約者ってだけで本当は充分なんでしょ?……って、ああ、べつにあとで破棄するわけじゃないわよ。誤解しないで。あんたのお父さん偉い人だし、結婚てなると面倒くさそうじゃない。だから細かいことはあとにしたいって言ってるの。反対されたりしたらかったるいもの」

「……ああ、そのことですか。大丈夫ですよ。反対するわけないですから。」

「……え、なんで?」

昨日の元婚約者絡みでいろいろ聞いた話と違うと思って聞くと、
ゼロスはさらりと答える。

「もうとっくに、僕はリナ=インバースさんと結婚する予定ですと、リナさんの写真と一緒に書類を父へ送っておきましたから。もし反対ならすぐに煩く言ってきますので、もう二週間以上も沈黙してるってことはすなわち、父にとっての承諾なんですよ。僕のことは早く片付けたかったでしょうし、向こうも丁度よかったんでしょう。勝手に事業を始めたりして父の会社のしがらみから離れようと忙しい僕を、その手元に縛り付けておきたいと父も必死でしたが、一番警戒していたのは、僕が父と敵対する企業グループへと入り込んで、手を組んでしまうことですからね。僕ならやりかねませんし、だから、父との協力関係の会社の娘ばかり婚約者として送ってくるんですが、僕はそんなのに興味ありませんし。リナさんは一般家庭のごく平凡な生まれですから、そのへんのしがらみが一切ありません。とりあえず危険度はほぼなく、逆にこれで僕が落ち着いてくれれば、と父も母も判断したはずです。」

「…………あんたって、両親と仲悪いの?」

「悪くないけど良くも無いですね。僕の両親ですから。」

「……………………」

即答したゼロスの笑顔が何を意味するのか、リナはそれ以上考えないようにした。

面倒くさいことに巻き込まれたくないのに、思いっきり巻き込まれてしまってる自分を感じながら、もう思考も体にも力が入らない。

「そうだ。リナさんのご両親にもご挨拶に行ったほうがいいですよね。明日、お伺いしてもいいですか?」

「……………え」

回らない思考と先行きへの不安でふらふらと歩いているリナに、ゼロスが思い出したように言うとリナは苦虫を噛み潰したような顔で立ち止まる。

「だめですか?」

「……いや、ちょっと待って。だめじゃないけど、だめだわ。あたしの両親は大丈夫だけど、あたしの姉ちゃんが……姉ちゃん、が…………っ!!」

そこでリナは頭を抱えてしゃがみこんだ。
絶望的な表情で『姉ちゃん』という単語を発したリナに、ゼロスは不思議そうに首を傾げる。

「お姉さんがどうかされたんですか?リナさん、お姉さんがどんな人か、いつも話してくれませんよね」

「………やばい、やばいわ。あたしそういえば姉ちゃんのこと考えてなかった。姉ちゃんの反対を押し切ってガウリイを婚約したのに、それを破棄したことが姉ちゃんに知られたら、間違いなくあたしは死ぬ。いえ待って、それだけじゃない。さらに次はこんな胡散臭い男と婚約して近いうちに結婚する予定なんですなんて言ったら、あたしは間違いなく姉ちゃんに八つ裂きにされる。……どうしよう。あたし、どうしたら………」

ぶつぶつぶつぶつと物騒なことを呟いて、リナはがたがたと震え出す。
ゼロスは指の先で頬をかいて、困ったように言った。

「……リナさんのお姉さんてそんなに厳しい方なんですか?」

「……厳しい厳しくないじゃないのよ。姉ちゃんには姉ちゃんのやり方、ポリシーってのがあんのよ。……あたし今までよく生きてこられたなってくらいだから。」

「はあそうですか。まあ大丈夫ですよ。僕が説得しますから」

「あんた、そんな呑気に……」

「だーいじょうぶですよ。要はお金でしょう?僕はこう見えてけっこうお金持ちですから。リナさんが玉の輿に乗ったと知れば、お姉さんもあっさり許してくれますよ」

「………そ、そうかな……」

「それでも反対されたら二人で駆け落ちしましょうね。そうだ、今からどの海外に行くか決めておきますか。ヨーロッパとアメリカ、どっちがいいです?」

「………あんた、本当は姉ちゃんを説得する自信無いんでしょ」

「いえいえそんなことないですけど、万が一ってことがあるじゃないですか。大丈夫ですって。僕はリナさんと一緒なら、どこで暮らしても幸せですから」

「……………………」

尋常じゃないリナの怯え方にゼロスも不安を感じたのか
早くも駆け落ちの行き先を提案してきた彼にリナが呆れたように言えば
ゼロスはさり気なくその言葉で返した。

「?僕、何かへんなこと言いました?」

なんとも言えない顔でただゼロスを見あげるリナに、ゼロスが聞くと
リナは地面を見てから、大きく息を吐いた。

「……あたし、こっ恥ずかしい台詞を言えるのはガウリイの専売特許だと思ってたけど、訂正するわ。あんたも、言えるのね、そういう台詞」

「?……何がです?」

「……ううん。いいわ。ほら、もう行きましょ。」

わからないゼロスに、リナはよいしょと立ち上がって、ゼロスの手を自らのほうから掴んだ。

「姉ちゃんにバレたら駆け落ちなら、もういっそあたしが大学卒業するまで黙ってたほうがいいわ。卒業したら、うちの両親と姉ちゃんに話して、許してもらえたらそれでいいし、ダメなら駆け落ちでいいわもう。あたしも海外に行ってみたかったし」

ゼロスと並んで歩きながら、リナは吹っ切れたようにそう言い出す。
ゼロスはそんなリナの横顔をまじまじと見てから、口元で緩く笑った。

「そうですね。じゃあそのプランで行きましょうか。というか、これからどこ行くんです?ウエディングドレスですか?」

「馬鹿ね。そんなずっと先の式のことなんてどうでもいいわよ。あたしのアパートに帰るのよ。もうずっと帰ってないし」

「……それは………」

その言葉で何を推測したのか、不安げな顔をするゼロスに、リナはくすりと笑った。

「違うわ。あたしがあんたのマンションを出てくわけじゃない。逆よ。それよりあたしのアパート引き払うから、荷物の引越し手伝ってよ。あたし、本当にあんたと同棲するから」

「………リナさん」

「なによ、いやなの?」

「いえ、まさか。……でも、驚きました。リナさんがそう言うの、初めてですよね」

「そうね。……あたし、意地張ってたから。でももうやめるわ」

言ってリナは立ち止まる。
そしてゼロスの手を離して、彼の前に立った。

「……あたし、あんたのこと好きじゃないけど、あんたと逢えてよかったって、今日初めて思ったの。だからね、これはあたしのあんたへの謝罪。べつに、あんたを好きになったわけじゃないから、勘違いしないでよ?」

少しだけ首をかしげて、リナは頬を染めて上目がちにゼロスに告げて、
そっとゼロスの唇に、唇を重ね合わせて、すぐに離した。

「……リナさん…」

「だから、これからもよろしくね、ゼロス。……ううん、あたしの婚約者さん」

どこかたどたどしくそう呼んだリナに、ゼロスは目を見開かせてから、ゆっくりと微笑む。

「はい。僕のほうこそよろしくお願いしますね……僕の、お嫁さん」

リナが『気が早いわよ』と言い返す前に、ゼロスはリナの体を胸に抱いて、強く腕に力をこめる。

「ゼロス……っ痛いわよ…っ」

小声の抗議も聞かずにリナの髪に顔を埋めて、ゼロスはリナの体を抱きしめ続けた。




大学のキャンパスで、ガウリイ達の前で彼らに見せつけるようにリナにキスをして求婚したのは、本当はゼロスはリナにフられるためにやっていたのだとは、
リナすらも知らないままに。
2014/10/21(21:04) | Comment:0 | TrackBack:0
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