≪あらすじ≫
御子柴が帰った後、待ち望んでいた千代の訪問に驚いた野崎は気まずい沈黙の中、何か言おうとした千代を遮って、彼女への思いのたけをぶちまける。驚く千代はそんな野崎に――。

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これで最後です。お付き合いくださりありがとうございました
気まずい沈黙の中、壁にかけられた時計の秒の音だけが聞こえていた。

御子柴が帰ってから間もなく玄関のインターホンが鳴り、ドアを開けたら今の自分が最も待ち望んでいた佐倉千代がそこに立っていた。

「なっ、中に入っても、いい……?」

小さな体をさらに小さく縮めて俯きがちに言う彼女を断る理由は一つもなかった。

招き入れて飲み物と菓子を出したが佐倉はそれには手をつけない。

ただ座って、ぎゅっと握った拳を膝の上において黙っている。


自分だけが立っているのもおかしくて佐倉の向かいに腰を下ろしたが、佐倉に会ったら言いたかったはずの言葉の山はどうしても喉の奥から出てこない。

次第に背中や額に汗をかくのを感じながら、こんな緊張感を感じるのは中学生の時に漫画雑誌の賞に初投稿した時以来だと野崎は思った。


「あの、私っ……野崎くんに、言いたいことがあってね……その、実は――」

重い沈黙を破ってくれたのは佐倉のほうからだった。

俯きがちで表情は窺えないが、それを聞いた野崎が咄嗟に思ったのは、
『自分は今から佐倉にフられるんじゃないか』という直感的な予感だった。

いくら二日前から佐倉から避けられているとはいえ、まだそう考えるには早いはずだと思っていたのに、先ほど御子柴と話したことでむしろその小さな不安は今はただの現実へと変わろうとしている。

(俺が、佐倉にフられる……?四日前に想いを告げて、彼女の方からも愛の告白をされたのに?その翌日にはキスもセックスも済ませて、プロポーズは断られたが、俺の佐倉への気持ちは充分に伝えたつもりだったのに、どうして……?)

(いや、待てよ。そういえば俺は佐倉に酷いことをしていたんだ。佐倉が俺を好きな気持ちを利用して、ずっと漫画の手伝いをさせていた。御子柴に言われるまで気づかなかったぐらい、俺は佐倉にとっての純然たるヒーローとは程遠かった。でも佐倉はいつも真剣にベタを塗ってくれた。小さな手で器用に筆を動かして、俺や御子柴や堀先輩に教わったことを一生懸命覚えては、月に何日も俺のマンションに通ってくれた。これは俺の自惚れかもしれないが、ベタの仕上がりがよかった事を褒めた時の佐倉の顔は本当に嬉しそうで。それに漫画のネタ探しも、マミコになろうキャンペーンも心よく手伝ってくれて、画材の買い物も一緒に来て荷物を持ってくれて、それから俺が作った弁当をいつも嬉しそうに食べて……って、考えるとキリが無いがとにかく、そんな、そんな佐倉が、両思いになったばかりの俺をフる……!?)

(いや、待て待て。冷静に考えよう。漫画の立ち位置で考えても俺は佐倉にとってのヒーローポジションではなかったのだから、いっそここはフられるのは仕方ないとしよう。そうするとやはり俺は当て馬だったわけだが、佐倉と無事に結ばれるヒーローというのは誰なんだ。あ、そうか、それを今から俺に言おうとしているのか。『ごめんなさい、私やっぱり、野崎くんじゃなくて前から気になっていた○○○君が好きだと気づいたの。野崎くんへの気持ちは勘違いだったみたい。本当にごめんね……』とこんな感じか。うん、それなら綺麗にストーリーが纏まるな…………じゃ、なくて!!!俺がフられるのは仕方ないってどういうことだ!!?いや、それはだって俺が佐倉に――)

たった一瞬で膨大な量の想像と妄想を巡らせた野崎の思考は、そこでパーンと弾け飛んだ。

「さっ、佐倉……っ!!」

耐え切れず佐倉の言葉を遮り、立ち上がって名前を呼べば、

「え、ハ、ハイ……!?」

その勢いに気圧されたのか佐倉が顔をあげて返事をする。

「すまないが、俺は佐倉を……他の男には絶対に渡さないからなっ!!」

「え……え、ええええっ!?」

何もかも吹っ飛んだ思考のあとにただ一つ残っていたその言葉を叫べば、佐倉は困ったように声をあげた。

(――そうだ。何を悩むことがあったんだろう。心も体も手に入れた筈の佐倉を他の男に奪われるのならば、俺がもう一度取り戻せばいいんだ。いや、相手に一度手渡される暇もないくらいに、俺が佐倉を離さなければいいんだ。もうそれしかない。それしか、佐倉を自分に繋ぎ止めておく方法が無い。少しでも離れればどこかへとフラフラ行ってしまうなら、自分が、離さなければいい。例えそれが、当て馬を越えた悪役以上の悪役となることなのだとしても――)


瞬時に纏まった思考に従って、野崎は佐倉を見据えた。
堰を切ったように溢れる想いと本心を声にして。

「俺が佐倉の恋心を利用して、俺の漫画を手伝わせていたことは謝る!それに関しては心の底から全力で謝る!!だけどこれからも手伝ってくれ!!これからも俺のマンションに通って、俺の傍にいて、俺の料理を食べてにこにこと笑って、俺の癒しとなってくれ!!それから、一昨日も昨日も今日も学校で俺を避けていたようだが、その理由はもう言わなくていい!聞きたくないから!!メールの返信が無かったことも問いつめないから、理由は言うな!それよりも、俺は……俺は佐倉を離したくないんだ!!だから俺をフるな!俺をフって他の男のところへ行くぐらいだったら、俺は佐倉の気持ちを無視してでも、もう一度、佐倉を俺に振り向かせてみせる!!」

最後まで言い切った野崎は、はぁはぁと肩で息をした。

最後まで聞き終えた佐倉は、ただポカンとそんな野崎を見あげていた。

野崎が息を吸って吐く音と、時計の針音だけが再び室内に響いて、不意に佐倉は口元に手を当てる。
肩を震わせて、くしゃりと顔を歪めてから言った。

「……私、わたしは………」

野崎がゴクリと喉を鳴らす。
言いよどむ佐倉の次の言葉を、根気よく待った。
言いたい事は全て言ってしまったのだ。
利己的なエゴイズムでしかない己の心はもう全て見せてしまった。
これ以上は、何も言いようが無い。

「私、野崎くんの漫画のベタ塗るの……イヤじゃなかったよ。だから、謝らないで……」

ようやく聞こえてきた言葉に野崎は自らの耳を疑った。
意味が計りかねた上に、話の本題はそこだったろうかと思考が混乱する。

「あと……私ね、野崎くん以外に好きな人なんて、いないの。野崎くんよりも好きな男の子なんていないし、今までずっと、野崎くんしか見てなかった。入学式の日からずっと……。だから、私が野崎くんをフったりなんて、しない。私は野崎くんと付き合いたくて、一緒にいたくて、それで野崎くんの漫画を手伝ってた。野崎くんからよく思われたいっていう下心も勿論あったけど、でも楽しかったの。細かい作業って嫌いじゃないし、本当に月刊ロマンスに載った漫画見て、自分のベタがあって、嬉しかったの。野崎くんて凄いなぁって思ってた。私、去年告白するまで、野崎くんが漫画家なんだって知らなかったから」

野崎はパチクリと目を瞬かせた。
彼女が何を言いたいのかを掴むより先にわかったのは、自分は今彼女からとても褒められているということだった。
ついさっきまでの絶望と焦燥とのその温度差が激しくて、佐倉の言葉ひとつひとつが耳に入って来ない。
何かとても大事なことを今彼女が言っているんだとわかるのに――。

「だからね、謝らなくていいの。私は今も、野崎くんを好きだよ。野崎くんを置いて、他の男の子のところへ行ったりなんてしない。だから、私が野崎くんをフることはないの」

その時の佐倉の表情はあの日と同じだと、野崎は気がついた。
四日前の帰り道の夕陽が照る中で、自分の告白に対して同じ告白で返してくれた時の泣きそうな笑顔と同じ。
ガクンと膝から力が抜ける。

――本当を言うと、わからない。どうして佐倉がそう言ってくれるのかが、まだ自分はわかってない。
わからないのに、こんなにも嬉しい。嬉しくて、嬉しくて嬉しくて。
心の奥から溢れて弾けそうなほどに、息ができなくなるくらいに、自分は佐倉のことを――。




「……その、すまなかった。疑ったりして」

身を起こして、ようやく言えたのはそれだけだった。
佐倉に向き合えば、佐倉は少しだけ目を見開いてからぶんぶんと首を横に振る。

「う、ううん。いいの!気にしないで。あの、実はね、私も……って言うとおかしいんだけど、その、野崎くんを信じてないことがあったの。だから、お互い様じゃない、んだけど、私……」

言いづらそうに視線を落とす佐倉に、野崎は内心で首を傾げる。
フられる理由ならいくらでも思い当たったが『信じてない』が何を指すのかは検討がつかなかったからだ。

「……あのね。私、あの日は……あ、あの日って、日曜日のことなんだけど。野崎くんが、その、私の体を……舐めたり揉んだり吸ったり、した、でしょう?」

「……………………」

野崎も決して忘れてはいなかったが、改めて佐倉の口から聞くと野崎は急に恥ずかしさを覚えるのを感じていた。……本当に今更であったが。
とっさに返事ができないでいると、佐倉も顔を真っ赤にして湯気を出そうにしながら言う。

「それからキスも……さ、触るだけの、普通のキスじゃなくて、野崎くんの舌が入ったり、とか。そういう、キスをね、何度もしたっていうか、されたんだけどね。私その時ずっと頭が真っ白で、何も考えられなくて、でも、野崎くんに『帰って欲しい』て言われて、それがすごくイヤで……だから、私、そのあとも野崎くんに冷たくされたくなくて、我慢……してたの。体が、自分の体じゃないみたいで、勝手に痺れたり、熱くなったり……お腹の奥と、その……アソコがびくびくするなんて、初めてで、本当は怖くて……怖くて、仕方なかった」

「……………………」

急に恥ずかしさを覚える(以下略)はさておき、野崎はサーッと自分の体温が下がっていくのを感じていた。
うつむく佐倉の拳は固く握られて膝の上に置かれて、震えている。

自分はもしかして、とんでもなく……とんでもなく酷いことをしたのではないかろうかと今更ながら気づいても、今更、後の祭りなのだ。

「でもね、怖かったんだけど……き、気持ちよかったの。そういうコトすると気持ちイイとか、感じるとか、ドラマや映画や本で聞くし友達もそんなこと言ってたけど、それって本当なんだってわかって……。わかったん、だけど、でも、私その日家に帰って、お風呂に入って、足についた赤いキスマークを見た時になんか……急にすごく恥ずかしくなっちゃって、明日学校で野崎くんと会ったらどんな顔したらいいんだろうって、頭がパニックで、それで野崎くんを避けてたの……。ごめんね」

「………え。あ、いや……」

突然謝られて、さっき『聞きたくないから言うな』と自分が言った理由を聞かされて、野崎はろくな相槌も打てなかった。
頭がパニックなのは今の野崎のほうなのに、佐倉はどんどん話を続けていく。

「それとね、野崎くんは『俺も初めてだ』って言ってたのに私よりずっと慣れてて、私をリードしてくれたのに、私その時『本当に野崎くんの初めては……私なの?』って、野崎くんを疑う気持ちがどうしても消せなくて、でも口に出して聞けなくて、そのうちに終わって、野崎くんから『結婚しよう』って言われて、なんて言ったらいいかわからなかったの」

「…………え。あ、いや……うん?」

「でも――」

パニックなままの野崎が意味不明な相槌をうち、そこで、佐倉の頬から顎へ雫が伝い落ちる。
ぽたぽたと零れ落ちるその透明な液体は彼女の涙に違いなかった。

「でも……野崎くんがもし私以外の女の子とシたことあって、もしかしたら一人二人じゃなくて、普段から私にしたみたいに、遊んでるんだとしても、私は野崎くんを好きだから、嫌われたくなくて、カップルとして付き合いたくて……それだけはその日に言えたのに、でも、家に帰って一人になると、ぐるぐる嫌なことが頭に浮かんで、離れないの。私は野崎くんにとって、なんなんだろう……って。私の体が欲しいのかな、って。私を好きって言ってくれたのも、本当は、私とシたかっただけなんじゃないかって。そんな、最低なことばかり浮かぶの。……本当に、ごめんなさい」

「…………佐倉……」

不安ばかりを胸に抱えて言いづらかったであろうことを全て言ってくれた彼女に、野崎はかける言葉を見つけることが出来なかった。

そもそも自分が欲望のままに彼女の体を手に入れたことが原因だったのだ。
あの時、彼女は『急ぎすぎじゃないか』と控えめに言ってくれたのに、そんな言葉は耳に入らないほどあの日の野崎は自分の欲望に素直だった。
それが結果的にこんなに佐倉を傷つけていたことがわかったのに、それなのに、今なんと言ったらいいのかが、わからない。
乙女心の機微が描ける少女漫画家が売りだったのに、実際に目の当たりにした乙女心は自分が想像できていたような甘ったるいものではなくて、もっと……苦しくて、辛い。
こんなにも苦しいだろうに、それでも自分を好きだと言う佐倉に目が眩む思いがしながら、野崎は言葉の代わりに佐倉へ向かって腕を伸ばした。



「……触っても、いいか?」

柔らかな頬に触れれば、ビクリと佐倉が怯えるように震える。
今も俺が怖いのだろうか、と少し傷つく気持ちがしながら、頬から手を離してなるべく優しく聞くと、短い沈黙のあと佐倉はこくりと頷いた。

もう一度頬に触れて、涙が通った跡を指先でなぞってから、細い肩へ腕を回す。
なるべく力を入れずに、壊れ物を扱うように野崎は佐倉を抱きしめた。

胸に抱く小さな小さな体の温もりは、ずっと野崎が欲しかったもの。
欲しくて欲しくてもう我慢ができなくて、佐倉に告白する前から野崎が本やビデオやネットなどでそういう知識を調べ尽くしたことを、佐倉は知らない。

「……不安にさせて、すまなかった。俺は……佐倉以外の女の子と、セックスしたことなんてないよ。本当に佐倉が初めてだったんだ。だけど、ティーンズ漫画雑誌でも、初めては痛いって言うし、何が痛いのかわからないから調べたんだ。ビデオだけじゃわからないから本も読んだし、ネットでもそういうトピックスを読んで……。だから、慣れてたわけじゃないんだ。俺も必死で、ずっと、頭の中がくらくらしてた。佐倉の反応が嬉しくて、佐倉の体がどんな風か知れて、嬉しくて、でも、やっぱり俺も男だから、最後までしたかった。佐倉が嫌がってるって、頭の奥ではわかってたのに……。本当に、ごめん」

優しく降り注いだ言葉に、佐倉は目を見開く。
震える腕を持ち上げ、野崎の背に回してぎゅうと彼のシャツを掴んだ。
それに返すように野崎の腕に力が入る。
ぼろぼろと零れる涙で、頭を押し付けた彼のお腹のあたりのシャツが濡れるのが見えた。

「………野崎、くんの……バカっ。馬鹿、馬鹿馬鹿……っ!!」

言いたいことが山ほどあるのに、なぜその言葉が先に出てきたのか佐倉は自分でもわからなかった。

「私はっ……もっと、ゆっくり野崎くんとカップルになりたくて……っ、一緒に水族館や遊園地に行く、とかっ、一緒にクレープ食べて、お互いに食べ合いっこするとか、なんかもっと、そういうフツーのカップルらしいことしたかったのに……っ、それなのに……っ野崎くんの家に呼ばれて嬉しかったのに……キスだって、私、ファーストキスだったのに……っ」

野崎は、ひっくひっくと泣き続ける佐倉の頭をそっと撫でる。
背が小さい佐倉はこうしていると、本当にまだ子供のようで。
でも、決して『子供のような』だけが彼女の本当の姿ではないのだと、まさにその日曜日に野崎は知ってしまっていた。

「……今度、一緒に水族館と遊園地行こう。資料用の写真も撮れるし。」

慰める為にと思ってそう言うと、佐倉はガバリと顔をあげた。
どう見てもその表情は怒っている顔だったので、野崎は思わずたじろいだ。

「野崎くんっ!ずっと聞きたかったんだけど、私とのデートと、資料の写真撮るのと、どっちが大事なの!?」

「え!?」

野崎は心底困ったように声をあげる。

佐倉を宥めるためにも一石二鳥として提案したのに、『私と仕事とどっちが大事なの!?』という王道な質問をされてしまい、即答できない自分がいたからだ。

「…………そ、それはもちろん、佐倉とのデートに決まってる、だろう?」

「野崎くん、それ言うなら私の目を見て言って!目を逸らしてる!」

「ううう……」

今日の佐倉は一筋縄では行かない強さがあった。
両思いになる前は、資料用でも漫画のネタのためでもなんでも快く協力してくれたのに、と以前の彼女の心の広さを改めて知りながら、もしかしてこれが男女が『付き合う』ということなのかと少し気づき始める。
『女の子は誰だって、彼(好きな人)にとっての一番になりたいの☆』
そんな台詞を昔自分で描いたことを思い出しながら、野崎は佐倉に聞こえないようにそっと息を吐いた。

「……わかった。遊園地と水族館に行く日は、資料用の写真を撮らないから。これでいいか?」

野崎が心の中で泣きつつ、佐倉が望むであろう言葉を言うと、
佐倉は嬉しそうにパァッと顔を綻ばせる。
だが急に我に帰ったように、佐倉は目を丸くしてからなぜかコホンッと一つ咳払いをする。

「……あ、ご、ごめん。私、我が儘言ってたよね……。ずっと言ってみたかったことだったから、つい我慢できなくて……。あの、写真撮っていいよ。遊園地でも水族館でも、どこでも。」

「え……本当か!?」

「……う、うん。あのでも、私とのデートだってことも、時々は思い出して、ね……?」

まさかの許可が出て、野崎が佐倉の肩を掴んで揺さぶると、佐倉も若干引きつつ、小さな釘を野崎へと刺した。

「それはもちろん!忘れないようにするから!佐倉、ありがとう!!」

……そんなに写真を撮りたかったのか。
心の底からお礼を言われて、佐倉は複雑な気持ちになるがもう口には出さなかった。
野崎の完全なる職業病は治しようがないし、仕方がないのだ。
彼は自分だけの彼氏(もの)ではなくて、売れっ子少女漫画家でもあるのだから。


「よし、じゃあどこの遊園地と水族館に行くか早速決めよう!あ、でも両方同じ日に行くのは無理か。佐倉はどっちを先に行きたいんだ?」

野崎は佐倉の体を離し、机の上のノートパソコンを起動しなから佐倉へ聞いた。

「……んーと、どっちでもいいかな。あ、じゃあ遊園地。ほら、観覧車に乗って一番高い場所になったらキスするとそのカップルは長く続くとかって、よく言う――」

そこで佐倉は言葉を止めた。
急に野崎が真剣な顔になって、自分を見つめていることに気づいたからだ。

「の、野崎くん?どうしたの?」

「……いや、忘れてたことを思い出して。ちょっと待っててくれ」

野崎は立ち上がり、壁際に並ぶ棚の一つの引き出しを開ける。
そこから小さな鍵を出して、机の鍵付きの引き出しへと差し込む。
鍵を開けて、空いた引き出しから小さな箱のようなものを取り出した。

「これを、佐倉に渡したかったんだ」

「私に……?」

佐倉に見せるように箱の蓋を開けると、佐倉が息を呑む気配がする。

「キッチリ給料三か月分で買ってきた。今すぐって訳じゃないし、俺が急ぎすぎなのもわかってる……。でも、佐倉以外には考えられないから。俺が生まれて初めてドキドキした女の子は佐倉で、これからも、そうだと思う。……だから、佐倉の将来を約束する相手に俺がふさわしいと思ってくれるなら、これを受け取って欲しい。婚姻届はもういい。あれは、本当に籍を入れる日に書けばいいから」

「……………………」

驚きで固まって声も出ない佐倉は、震える手でその小箱を受け取った。

中に入っている指輪を見つめて潤む瞳から一筋の涙をこぼしてから、それを服の袖でぬぐう。

「……私でいいんだったら、喜んで、野崎くんのお嫁さんになるよ。まだ、本当のお嫁さんにはなれないけど、でも、いつか絶対に私、婚姻届に、サインするから……っ」

お互い学生同士で、来年高校を卒業してもどちらかか、もしくは両方ともまだ学生な可能性が高い。
急ぎすぎってレベルじゃないのは三日前の彼と何も変わっていなかったが、今の佐倉には、彼が言う言葉は疑う余地のない、彼なりの佐倉への愛情なのだと、はっきりと分かるものだった。

「だから、野崎くん。私のこと、ずっと……好きでいてね?」

潤む瞳で見上げられて、野崎は一瞬固まってから、佐倉と同じ目線になるように膝を曲げて体を屈めた。
涙をこぼす彼女の目尻に指で触れてから、言う。


――好きだよ、千代。

耳元でそう囁けば、とたんに真っ赤になる顔に手をあてて、
触れるだけの優しいキスを、佐倉の唇へ落とす。


たくさんの謝罪と、これからの誓いと、佐倉に出会うことができた、まるで少女漫画のような奇跡に感謝して――。
2014/10/10(03:41) | Comment:0 | TrackBack:0
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